フィリピン紙幣の旅 [20ペソ紙幣編] フィリピン紙幣に描かれている歴史的英雄と風景

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さて、皆さんはフィリピンのお金についてどこまでご存知でしょうか。 [20ペソ紙幣編]

フィリピン旅行の際には、日本円からフィリピンペソに両替することも多く、フィリピンペソの紙幣や硬貨を目にした方も多いでしょう。
では、その紙幣に絵描かれている人物は誰なのか、紙幣に描かれている場所はどこなのか知っていますか?

ご存知の通り、単位はフィリピン・ペソ( P )。補助通貨はセンタボ( ¢ )。
1ペソは100センタボ。
紙幣の種類にはP1,000、P500、P200、P100、P50、P20 の6種類。
硬貨の種類はP10、P5、P1、¢25、¢10、¢5、¢1の7種類となっています。

今回は20ペソ紙幣に描かれている歴史的人物と風景について共有したいと思います。

 

現在のフィリピン紙幣の歴史

2009年、フィリピン中央銀行/ BSP / Bangko Sentral ng Pilipinasは、セキュリティ機能をさらに強化し、耐久性を向上させるために、紙幣と硬貨の大規模な再設計を開始したと発表しました。 numismatic委員会のメンバーには、Bangko中央副知事Diwa Guinigundoと国立歴史研究所のDr. Ambeth Ocampo会長が含まれます。
新しい紙幣のデザインは、有名なフィリピン人と象徴的な自然の驚異を備えています。フィリピンの国のシンボルは硬貨に描かれます。
新しいデザインシリーズから新世代の通貨シリーズへのスムーズな移行を提供するために、フィリピン中央銀行はサイズ、主な色、NGC (新紙幣/ New Generation Currency)の主なパーソナリティなどのNDS (旧紙幣/ Old Banknote Series)機能を保持しましたが、コラソンアキノ大統領の肖像画は例外で500ペソ紙幣には新しく肖像画を追加。
その後、フィリピン中央銀行は2010年12月16日に新しい紙幣の最初のバッチのリリースを開始しました。新紙幣は2014年まで旧紙幣と共存し、フィリピン中央銀行は最新の偽造防止セキュリティ機能を備えた新紙幣を印刷および生成する機能を構築しています。世界中でベンチマークされた高度なテクノロジーを通じて組み込まれました。色はデザインで重要な役割を果たし、数値、シール、紙幣の縁などの重要な要素を際立たせています。
前面に大きな凹版印刷の数字が含まれていることにより、各単位が区別され、視覚障害者を支援します。

 

20ペソ紙幣 Php 20

表面

人物:マニュエル・ケソン / Manuel L. Quezon

http://www.philippine-history.org/presidents.htm

マニュエル・ルイス・ケソン・イ・モリーナ(Manuel Luis Quezon y Molina, 1878年8月19日 – 1944年8月1日)は、フィリピン第2代大統領。コモンウェルス (独立準備政府) での初代大統領 (任期:1935年11月15日 – 1944年8月1日)。
現在のメトロマニラ・ケソン市は彼の名に由来する。1937年にタガログ語を国語と定めたことから「フィリピン語の父」といわれる。

フィリピンの独立記念日は、スペインから独立宣言を果たした1898年6月12日 (フィリピン第一共和国) 、初代大統領エミリオ・アギナルドとなっています。
しかしながら、その直後スペインよりアメリカに統治権が譲渡され、またフィリピンの独立を承認しないアメリカがフィリピンの植民地化反対運動に対し武力鎮圧を図り、1899年2月からフィリピン・アメリカ戦争 (米比戦争)に突入します。1901年にアギナルドが米軍に逮捕されて第一共和国は崩壊し、アメリカの統治植民地支配時代が始まります。
(フィリピン史での米比戦争は1899年2月から1902年7月となっています)

その後、このマニュエル・ケソンの強い働きかけにより、1916年には安定した政府の樹立を条件に将来の独立を盛り込んだ米国議会でのジョーンズ法 (アメリカ領フィリピン自治法) の成立に成功。
そして1935年、タイディングス・マクダフィー法 (1934年フランクリン・ルーズヴェルト政権下で制定) のもと、新憲法がフィリピン国民投票で批准され、総選挙でマニュエル・ケソンがアメリカ自治領政府 (独立準備政府) コモンウェルスの大統領に選出された。
大統領再選の1941年12月に日本がアメリカに宣戦布告し、翌1942年に日本がフィリピンを占領した後、渡米し亡命政府を樹立した。

 

宣言:フィリピンの国語宣言/ Declaration of Filipino as the national language

これはマニュエル・ケソンがタガログ語を国語と定め「フィリピン語の父」といわれていることから、その宣言を記載しています。

 

建物:マラカニアン宮殿 / Malacañan Palace

現在も使われているフィリピンのホワイトハウスであるマラカニアン宮殿です。

 

裏面

風景:世界遺産コルディリェーラの棚田群 / Banaue Rice Terraces

フィリピン・ルソン島の北部の山岳地帯バナウエ(Banaue)・バダット(Batad)・ボントック(Bontoc)周辺に広がるコルディリェーラの棚田群(Rice Terraces of the Philippine Cordilleras)は、1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
コルディリェーラとはスペイン語で山脈を意味し、山脈にある棚田群ということで、その一帯の棚田群が世界遺産に登録されています。
棚田の総延長は20,000kmを越えるとも言われ、棚田の規模としては世界最大ともいわれています。その歴史は古く、山岳民族のイフガオ族などが紀元前1000年~紀元前100年から造成しはじめたといわれています。

 

動物:フィリピンパームシベット/ Paradoxurus hermaphroditus philippinensis, Palm Civet

超高級コーヒーである「シベットコーヒー」や「ジャコウネココーヒー」、インドネシアでは「コピルアク」など多くの呼び名がありますが、フィリピンにもこのコーヒーあり、世界ではインドネシア産よりフィリピン産の方が高値で取引されているようです。フィリピンでは「アラミドコーヒー」とも呼ばるこのコーヒーはジャコウネコの糞から未消化のコーヒー豆から抽出したコーヒーが「アラミドコーヒー」です。

そのジャコウネコ科「フィリピンパームシベット」が描かれています。

 

織物:コルディリェーラ織りのデザイン/ Cordilleras weave design

バナウエがあるコルディリェーラの伝統的な織物です。現在ではほとんど使われることは無いようですが、伝統的技術の保存が検討されているようです。
バナウエには、お土産用にコルディリェーラ織の織り機での実演販売がありました。

 

まとめ

バナウエはマニラから車で向かうことができます。
私は2度行ったことがありますが、フィリピンでも高地のため涼しく、空気が澄んでいて眺めは本当に最高でした。元々フィリピン人の人懐っこさが田舎に行けばより暖かいものになります。

この他にもフィリピンという国にとって、またフィリピン人にとっての英雄が存在します。英雄たちの偉業やそれに感銘を受けた人々の言動などを知った上で、いろんなところに訪れると、より感慨深いものになります。そしてフィリピンには美しい場所が本当にいくつもあります。

フィリピン旅行の際には少しだけフィリピンの歴史と地理の勉強すれば、その時間以上に楽しいものになるのでおすすめです。

 

The images of banknotes on this page are provided by Bangkok Sentral ng Pilipinas.
http://www.bsp.gov.ph

The images on this page are also provided by: https://www.philippine-history.org/presidents.htm

 

(SHIN)